「手を抜く」ができない
最近、育児がずいぶんと楽になったな〜と感じる。1歳半なのでまだまだ大変なことも多いが、0歳育児の大変さは段違いだった。
大変だった要因のひとつが、「どのくらい手を抜いていいのか加減がわからない」なのではないか。
娘が産まれて、産院で「赤ちゃんが泣いたらおむつが濡れてないか確認しましょう」と教わった私は、娘が泣くたびに、まずおむつを確認して、ちょっとでもオシッコが出てたら交換して、それから授乳していた。
生後半年ぐらいまでは、おむつのオシッコラインが青色になっているのを見るたびにすぐ交換していた。新生児期は深夜だろうがなんだろうが、極限の寝不足状態に関わらず眠い目をこすりながら昼間と同じ頻度でおむつ交換をしていたので、あの時の自分は本当に頑張っていたと思う。
今となってはだいたい決まった時間に替えるようにしているので、ちょっとぐらい濡れてたって知ったこっちゃない。動き回るからねんね期より格段におむつ交換のハードルが高いし。夜なんかもう、おやすみマンに全てを託して朝までパンパン。
なぜ最初はそんなに頑張って頻繁におむつ替えをしていたかというと、オシッコが出たらすぐに替えてあげないと、おむつかぶれしてしまうと思っていたからだ。ここは手を抜いてはいけないところだと思っていた。(もちろん今でもウンチの時はすぐ替える)
おむつ交換以外にも、育児のあらゆる面で最初の頃は本当に無駄な努力をしていたように思う。今あの時のやり方でやれと言われても絶対できない。人間、一度楽な方を覚えちゃうと大変な方には戻れないんだな。
時間の使い方についても、だいぶ無理をしていた。
自分の髪を整える時間があったら、ぐずる娘の相手をしてあげたい。
自分の好きなテレビを観る時間があったら、娘の好きなEテレを観せてあげたい。
自分の趣味に使う時間があったら、娘をプレイルームや散歩に連れて行ってあげたい。
「そんな時間があったら、娘のために使わなくては」という考えが常にあった。
鏡を見るたびにボサボサ頭の自分の姿が映って、暗い気持ちになった。プレイルームに来る他のお母さん達はなんであんなに綺麗なんだろう、どうしたらそんな余裕が生まれるんだろうと思っていた。
もしも、当時の私に今の私が「そこは手を抜いていいんだよ」と教えることができたとしたら。きっと当時の私は聞き入れなかっただろう。
産まれたばかりの小さな命を守るのに必死で、「自分が手を抜いたばっかりにこの子になにかあったら、きっと自分を許せない」という強い責任感があって。
全く余裕がなくて、身も心もボロボロだった当時の自分に、もし会えたなら、野暮なアドバイスはせずに、少しだけ子守を代わって自由な時間を与えてあげたい。寝かしつけなんかは難易度が高くて他の人に任せられないけど、自分自身になら安心して任せられる。
自分のことも大事にしていきたいです。
アデュー('ω')ノ